そう子どもに問われたときにどう答えるのか。倫理学の基本的な問題設定の一つですね。
昔(たぶん高校生くらいのとき)、何かで読んだ回答では、ぼくの記憶が正しければ
「そもそも、そんな問いが出てくることがおかしい。命の尊さは本来、頭で考えるものではなく、小さい頃から自然の中で仲間と遊んでいれば、身体感覚として知ることができるはず。そのような疑問を持つ子どもが出るような今の教育が間違っている」
という意見が述べられていました。
そのときは「なるほど、そういうものか」と思っていた気がするけれど、今になって思うと、やはりこれはおかしい。
最近、哲学者の千葉雅也さんのTwitter @masayachiba を楽しみに眺めています。また彼はときどき、深夜3時くらいに自宅からUstream中継して、自分の研究などについて、わかりやすく解説してくれるので、起きていればつい見てしまう。といっても、彼の論文を読んだりはしていない、軽薄でお手軽なファンなのですが。
その千葉さんが、このたびの東日本大震災について、言っていたことが興味深かった。
@masayachiba千葉雅也 Masaya Chiba 天罰だとかいう話もありましたが、ばかげていますね。巨大災害は、それ自体として見れば、悲惨ですらない。単なるナンセンスです。僕の論文では、これを、「無意味」ですらない「下意味 infra-sens」と表現しました。
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